進化し続ける院長のご紹介

院長 葛山賢治紹介

経営理念

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経営理念
私達は、社員の幸せを通して、社会に貢献できるように、社員の幸せを第一に考える経営を行います。その心ある社員が、ここにいらした方の幸せの実現を第一に考え、一歩先を見て行動することで、社会に貢献できる歯科医院を目指します。

かつらやま 7 Way(当院スタッフの行動指針)

平成23年4月、当院のスタッフが持つべき行動指針を7つにまとめ、
かつらやま 7 Way」と題しました。

この7つの行動指針を 常にスタッフが心に刻むことで、
患者様に ベストのサービスを尽くすことが出来ると確信しています。

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かつらやま7Way

  1. 私たちは、明るく、笑顔で周りを元気にします。
  2. 私たちは感謝の心を忘れません。
  3. 私たちは人の痛みに寄り添い、支え合います。
  4. 私たちは聞く耳を持ち、謙虚な心を忘れません。
  5. 私たちは学ぶ心を常に持ち続けます。
  6. 私たちは、新しいことに勇気を持って挑戦します。
  7. 私たちは仕事への情熱と志を忘れません。

研修会終了実績

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終了実績
2011千葉県歯科医学界認定歯科医
日本歯科医学界学術研修認定証
2011インプラントハンズオンセミナー
2010ペリオ・インプラントトレーニングプログラム終了
2011ワールドデンタルミーティング参加

国際貢献など感謝状

当院は、2006年6月、歯科医学教育国際支援機構により
「国際保健・医療ボランティア施設」として認定されています。

活動内容
1.後発開発途上国の保健・医療に対する資金援助
2.後発開発途上国の医療従事者に対する教育支援

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院長 葛山賢司

院長:葛山賢司

血液型 O型(でもA型に近いでしょうか?)
生年月日 昭和41年5月生まれ
趣味 ドライブ・ゴルフ・野球・釣り・歯科関係セミナー&講演会参加
患者さまへひと言 身内の診療をするつもりで、丁寧な診療をしています。 診療中、患者様がよく寝てしまうことがうれしいような、悲しいような。 当院のコンセプトは、安心・安全なインプラント治療を中心にお口の中から全身の健康をめざしています。

経歴-出身大学、勤務履歴、開業年など

平成3年 奥羽大学歯学部卒業
平成3年 明海大学歯学部PDI埼玉歯科診療所研修医
平成5年 明海大学歯学部PDI埼玉歯科診療所研修医終了
平成5年 明海大学歯学部PDI埼玉歯科診療所臨床系医員
平成7年 明海大学歯学部PDI埼玉歯科診療所退職
平成7年 東京都清瀬市グリーンタウン歯科
埼玉県川口市武南病院附属クリニック歯科
平成8年 かつらやま歯科医院開業
平成20年 明海大学歯学部口腔生物再生医工学講座歯周病学分野博士(歯学)学位取得
平成22年 明海大学歯学部口腔生物再生医工学講座歯周病学分野 非常勤助教
平成23年 明海大学歯学部口腔生物再生医工学講座歯周病学分野 非常勤講師

所属学会・研修会の終了実績など

-- AAP(アメリカ歯周病学会)
-- 日本歯周病学会
-- 日本口腔インプラント学会
-- 日本顎咬合学会
-- 日本口腔検査学会
-- 日本歯科医学会
-- フィンランド虫歯予防研究会
-- JSCAD
-- SG21

資格関係

-- 東京歯科大学臨床研修指導医
-- 日本顎咬合学会かみ合わせ認定医
-- 産業歯科医

院長がこれまでに歩んだ道のりをご紹介します。

こんにちは、院長の葛山賢司です。

私という人間をもっとよく知っていただくために、まずは、私の生い立ちからお話しさせていただきます。

院長 葛山賢司物語

私は、昭和41年長野県松本市で生まれました。

松本城の城下町だった松本市は、周りをぐるっと北アルプスの山々に囲まれ、晴れた日には、実家から私の大好きなその名の通りに美しい美ヶ原の山がよく見えます。

そんな自然が豊かな松本で、小学校から高校まで育ちました。

小学校は、授業が終わると真っ先に教室を飛び出し、ドラえもんに出てくるような空き地で毎日、日が暮れるまで野球の練習をしていました。

(そのおかげで、現在は、千葉市歯科医師会の野球チームでキャッチャーをやっています。マスク姿が似合うねと言われますが、うまいねとは、言われません 笑)

リトルリーグにも誘われたのですが、その頃は、釣り吉三平の漫画に夢中で日曜日に釣りに行きたかったので、日曜日に練習のあるリトルリーグはお断りしました。

こうして、放課後は野球、日曜日は釣りというのが私の小学校の生活でした。

そんな小学校時代に、私は忘れられない人がいます。

それは、一年生の時のクラス担任だった男の先生です。
大好きだったその先生の影響で、私は「小学校の先生になりたい。」と強く思うようになりました。

中学、高校時代

中学になると、バレーボール部に入部しました。

初めての経験でしたが、部活終了後も暗闇の中、母とパスの練習をして1年目からセッターとしてレギュラーで活躍しました。

2年、3年では、ルーム長(学級長)としてクラスをまとめました。
今でも田舎に帰ると、中学の同級生には「ルーム長」と呼ばれ、必ずお盆と正月の2回、中学卒後28年間欠かさず同級会を行っています。

大体15名前後集まります。
それも私の帰省の予定に合わせ開いてくれるので、感謝感激です。

3年生の高校受験の時には、担任の先生のアドバイスを真に受けて、「1日12時間」勉強をしたのを、今では懐かしく思い出します。

高校は、松本県立県が丘高校へ入学しました。
高校での部活動は、またしてもバレー部です。
楽しかった高校生活ですが、高校3年の時に、大問題が持ち上がりました。

私の「小学校の先生になりたい」という夢に、私の両親が反対したのです。

実は、私の叔父は松本で開業している歯科医師でした。
父は身近にいる叔父が、地域の人たちから信頼され、生き生きと仕事に取り組んでいる姿を見て、自分の息子もあの様になって欲しい、と思っていたようです。

また、私も父に似て割と手先が器用だったので、そういった面から歯科医師に向いている、と思ったようです。

私は、毎晩泣いて抗議をしたのを覚えています。

結局、私は歯学部を受験することにしました。
叔父が歯科医師という仕事の素晴らしさを語ってくれ、それに心が動いたからです。

ギリギリの進路の変更でしたので、その後、歯学部受験を目指して猛勉強を始めました。

歯学部入学、将来の開業を目指して

こうして私は、めでたく東北歯科大学(現在は奥羽大学)に入学しました。

そうです、あのGReeeeNは後輩なのです。
入学試験が、成績優秀(!)だったため入学式で新入生代表として選ばれました(笑)。

入学後は、故郷の松本を離れて、福島県郡山で一人暮らしを始めました。

一人暮らしは嬉しい半面、全て自分でやらなければならないという大変さがありました。

また、授業は朝9時から午後5時までカリキュラムが組まれています。
一般大学とは違い、ゼミなどの選択などはなく休講にならない限り月曜日から金曜日まで毎日授業がありました。

いつかは叔父のように開業したい、その思いがありましたので、夜遅くまで大学に残って実習に励みました。

紆余曲折を経て、やっと自分の望み通りの診療へ

めでたく歯科医師国家試験に合格した私は、開業医で修行するのではなく、
埼玉県入間市にある、明海大学歯学部歯科臨床研究所付属PDI埼玉歯科診療所に入所しました。
そこで、約5年研修を積みました。

一通りの技術に少し自信が持てるようになった頃、結婚をしたということもあり、将来の開業の地を探し始めました。

色々と見た中で、最終的には、故郷の松本と同じく、緑が多く、自然が豊かで、そこに暮らす人々もどことなく温かい感じのする千葉市緑区あすみが丘に決めました。

晴れて、1996年開業。
建物の外壁は、「幸せの黄色いハンカチ」にちなんで、“幸せ”を呼ぶ黄色にしました。

開業して間もないころから、多くの患者さんを見ることができたという幸運に恵まれ、とても忙しい日々を送ることができました。

一日に40人近くの患者さんを一人で見るので、どうしても一人にかける時間は長くて30分、短い時には15分ぐらいで終わることもありました。

とにかく、来て下さる患者さんをこなさないと、そんな思いから、診療希望の患者さんをアポイント帳に無理やり詰め込めんでいる、そんな感じでした。

ところがある時、ふと、嫌気がさしてきたのです。

自分は何のために、こんなに流れ作業的に患者さんを見ているんだろう?

一人一人の患者さんと、ろくに話す機会もないまま、ただ機械的にお口の中だけを見ている。

一人一人の患者さんがどういう悩みを抱えているのかを十分に聞く時間もないまま、ただ、歯を削り詰めるだけ、そんなことをするために自分は歯科医師になったのだろうか?

「歯科医師という仕事が嫌になった・・・。」

そう、家族に漏らすようになったもの、開業して4、5年がたとうとしている時でした。

その頃、私は、もう一つの問題に気付き始めました。
患者さんの中には、治療終了後、定期健診で半年後に来て下さる方もいたのですが、その方の多くは、又虫歯になっているのです。

無理もありません。治療が終わっても、十分に予防の知識もないまま、また、その間に、適切な予防法もとらないまま半年を過ごすのですから、虫歯ができてもおかしくはありません。

そこから、また長い治療のスタートです。
これを繰り返せば、患者さんが歯医者嫌いになるのも無理はない、そう思うようになりました。

これを変えるにはどうしたらいいか?

一人悶々と悩む時期そんなある時、ある二つの出来事が私のこれまでの診療体制を大きく変えることになったのです。

一つは、より良い診療体制を探して他の歯科医院を見学している中で出会った、ある先生との出会いです。

その先生は、一人の患者さんに45分から1時間をかけていました。

他の患者さんと診療時間をだぶらせることもありません。

その先生は、こうおっしゃっておられました。

「一人の患者さんとの時間を長くとると、その患者さんが抱えている悩みを色々聞くことができるんです。
悩みが分かれば、どうすれば一番良いかを一緒に考えることができる。
患者さんの悩みが解決できたときに見せてくれる笑顔は、最高ですよ。」

この言葉を聞いたときに、私は目の前の雲がぱっと晴れたように感じました。

「そうか、一人の患者さんの時間を思い切って長くとればいいんだ、一日に診れる患者さんの数は
少なくなっても、一人の患者さんの悩みを時間をかけて聞き、
丁寧に治療を行うことができる、これこそが自分がやりたかった診療なんだ。」

もう一つは、PMTCというクリーニング法との出会いです。
これは、スェーデンで開発されたむし歯・歯周病の除菌をする歯のクリーニングで、むし歯・歯周病予防に優れた効果を発揮します。

定期健診だけでなく、このクリーニングも取り込めば、予防効果は格段に上がる

しかも、このクリーニングは痛みが全くなく、むしろとても気持ちがいいのです。

このクリーニングを受けた人は、

歯科医院=痛い

、というイメージがなくなる、そう思いました。

後は実行あるのみです。
早速アポイントを調整し、一人の患者さんの診療時間を必ず30分単位で取るようにし、長い時には1時間から1時間半とるようにしました。

一日当たり診れる患者さんの数は激減しましたが、気にしませんでした。

予防としてPMTCのクリーニングも取り入れました。

こういったシステムに切り替えたのが2003年の頃です。
一日に診れる患者さんの数を減らしたので、収入は激減しました。

また、当初は、予防という考え方が患者さんの間にも広まっていなかったので、PMTCを受ける方も月10人もいないという状況でした。

そういった状況にもかかわらず、私の心は満たされていました。

やっと自分の望んでいた診療体制にすることができた、そんな幸せな気持ちでいっぱいでした。

スタッフの努力と、私の診療方針を理解してくれた患者さんのお陰で、ここ数年PMTCを受ける方は毎月約60人前後いらっしゃいます。

定期検診と合わせると約120人前後の方が毎月予防のために当院を訪れてくれています。

特に、PMTCを定期的に行っている方にはほとんどむし歯がありません

思い切ってチャレンジしないと何も変わらない、今までの経験からそう思います。

だから、これからもチャレンジし続けていきたいと思います。

もうむし歯、歯周病に悩まない

そんな神話をあすみが丘から創っていきたいと思います。